2008年11月16日
 ■  訃報

逗子高のフレンドシップフェスティバル、
その前身のフレンドシップコンサート、
かれこれ10年にわたってお付き合いいただいている
池子音楽愛好会の中心メンバーだった
磯崎章二さんが亡くなられたそうです。

生徒諸君も私も、ちょくちょく神武寺駅周辺で
お会いすることがあり、
そのたびにお声をかけていただきました。
生徒はいろいろと特別にかわいがって頂いた
ようなこともあったと聴いています。

ここ数年、酸素の吸入器が離せなくなりながら、
それでも、毎年のコンサートには
お元気に参加され、歌ってくださいました。
温厚なお人柄で、
池子愛好会の皆さんをよくまとめられて、
そのおかげで、世代がかけ離れた
生徒との交流も長続きしたのだと
痛感しています。

打ち合わせに伺った会合で紙を渡され
「次はこの曲、どうですか?」
とリクエストいただいていたことを思い出しました。
取り返しのつかない後悔です。

ご冥福をお祈りするほかありません。

合掌

2008年10月05日
 ■  やはり、天才!

ここのところ、だいぶん涼しくなってきたので、
そろそろN川先生ご夫妻も蓼科の山から下りていらっしゃったかと、
思いつき、
お訪ねしてきました。

逗子のOctetがしばらく活動できずにいるので
心苦しく思っていたのですが、
先生はここのところバスーンアンサンブルに
集中していらっしゃるようでした。

7月に茅野市のホールで愛知県芸時代の生徒さんたちが
演奏したBnカルテットを聞かせてもらいました。
数年前、逗子のホールでCD録音もしましたが、
今回は「日本の子供」と銘打った、日本のメロディーです。

すばらしい編曲、感動ものです。
全33曲の第1曲はなんと「君が代」、終曲は「ふるさと」です。
その間の曲は季節順に並んでいます。
古今集に倣うかのように。

質問してみたのですが、
何か、元の譜面を見て書いたわけではないとのこと。
メロディーも和声も頭の中から取り出されたもの。
いったいこの方の心の中どうなっているのでしょう。

こんなすばらしい作品が公開されて、
みんなが演奏できるようになったら、
他の楽器にもtranscribできたら、、、
すばらしい「日本の財産」だと思います。

先生は昭和10年日生まれだそうです。
戦中の教育で、こんな才能が育まれれるのでしょうか?
明治以来の教育が、必ずしも間違いだったわけではなく、
むしろ、相当によかった面が、やはりあるのかと感じます。

2008年09月23日
 ■  オルガン交響曲

サン・サーンスが作曲したこの曲は
昔から大好きな曲のひとつです。
ただ、その名のとおり、オルガンを使う曲なので、
私の若い頃はアマチュアのオケなどでは、
というか、日本のオケではあまり取り上げられなかった
という気がします。
電気オルガンでの上演を聴いたことがあるようにも思いますが、
やはり、ホールにオルガンが設置してあるところが
少なかったからでしょう。

横浜楽友協会(吹奏楽団)が30回の記念公演として、
みなとみらいホールをとって、この曲を演奏しました。
この楽団は私が、高校時代の仲間と
立ちあげにかかわったバンドです。
もともと、チャイコフスキーの交響曲を吹奏楽でやりたい、
というのが出発点だったので、
いまでも、交響曲の全曲演奏を活動の目玉にしています。

私がかかわらなくなってからすでに10年ほどになりますが、
変わらぬ理想を持ち続けて今回もすばらしい演奏を
聞かせてくれました。
連れて行った高校生もオルガンの響きとマッチした
迫力あるサウンドに圧倒されていました。

昔一緒に演奏したメンバーで、変わらずに中核にある方も多く、
音楽のことしか考えていなかった自分の青春時代を
いやおうなく思い出しました。

一方では、私の教え子といって差し支えない若いメンバーも
多数混じってくれていて、これはまた、
大変うれしいことでした。
それも、逗葉高校でのお付き合いの方から、
つい先年高校卒業の方まで。

そして、指揮は中学同期の畏友・小田野宏之!
逗子高にも何度も来ていただいて、
私の拙い指揮を指導していただきました。
「先生」のお手本として、その指揮ぶりに
ついつい見とれてしまいます。

折角の名曲の名演奏も、
ここまで地縁血縁で固めた感じになると
無心に聴くというわけに行かなくなります。
休憩時間には、これも涙が出そうに懐かしい面々。
亡き師・池松和彦先生のことも思わずにはいられません。

音楽のありがたさ。

ここまで続けてくださった楽友協会の皆さんに
心から感謝します。

2008年08月31日
 ■  バトンをつなぐ驚異の絆!

いよいよ次の土曜日、7年目の東関東大会です。
今日はホール練習、応援に行ってまいりました。

おもえば、良くぞここまでやってくれたという感動です。
昨年の今頃、新しいメンバーに
何が足りないのか、という話をしました。
曲がり角を曲がるべく、歩き出したところで、
よきせぬ、リタイヤとなりました。しかし、
執念のバトンはつながれてました。

私が始めた曲をM井さんが、引き継いでくださいました。
見事に生徒をリードして地区と県。
その後、私とは20年来の楽友であるN氏にバトンタッチ。
他の誰でもここまでやってはくれないだろうという情熱で
生徒をDirectしてくれています。
生徒も指導陣も変わらぬ結束です。
思わず、北京五輪の日本リレーチームを連想しました。
よくもつないでくれたという感謝の一念です。
普通、指揮者が替わって、こんなにうまくはいかないと思います。

何よりお二人の指揮のご尽力に感謝します。
しかし、それ以前に、A先生とK君を中心として、
OBや講師諸兄の友情と信頼でつながれた輪の
強力なこと!!!
生徒の幸福はこれにつきます。

そして、
夜間に及ぶホール練習に毎回のように通ってくださる
保護者の方がいらっしゃいます。
本当にありがたいことです。

とどめは生徒たち自身です。
みなさん、ご期待ください。
県大会から、また大きく次の一歩を踏み出した演奏をしてくれるはずです。

私も願ってた方向へ、
バンドは大きく舵を切ってくれました。
少し時間はかかりましたが。
大きな可能性を感じます。

逗子高の仲間、その絆のなんと強力なこと!
驚異でもあり、
私の誇りです。

2008年05月20日
 ■  理解が不足しています。

こちら早くも中間テストが迫り、作問に苦戦中。

逗子では、生徒とやりとりする時間ばかりが多く、
デスクワークがなかなか進まなかった苛立が
記憶にのこっています。
今は逆。

やはり、生徒との時間が少ないのは
何か物足りない。
因果な性分というものに、
いつの間にか、なってしまったのでしょう。

ようやく帰ろうとしたところで、
旧知のご同業と校門前で邂逅。
高校の部活の1年先輩。大学もご一緒だった方です。
横浜に戻った実感がまたわきました。
でも、お互いトシをとりましたね。
まあ、高校時代、大学時代のつきあいですから。

さて、この先輩、
先日のフレンドシップに来てくださったとか、
「すごかったね!」とお褒めの言葉を頂きました。
正直とてもうれしかった。ところが、
返す刀で、「こっちではやらないの?」ときます。
多くの方がこのパターンです。

私は、
「もちろん、やってますけど、、、、」
その後が続けられません。
その時、気がついたのです。

あの、芸術劇場満員のフレンドシップフェスティバル、
それをやった私が、次に何をやろうとしているかと、
期待してくださっている、のでしょう。
でも、それは、なにか、とらえ方が違うのです。

「あれができたのだから、今度は、、、」
と考えてしまうのは、間違っていると思います。
教育や文化に対する認識として。
でも、ほとんどの方が、そう考えているようです。

もし、私に現在の様子を訊きたいのでしたら、
比較の対象は、
逗子高に着任したころの私、
であるはずです。

最初の2年間は全然うまくいきませんでした。
当時の生徒諸君には本当に失礼してしまったと
思うことばかりです。

軌道にのるまで5年。
コンクールA組東関東大会まで8年。
緑のブレザーできたのは10年目。
芸術劇場進出は12年目からです。

2000人超の人々が、一堂に会して音楽でつながる
そのイベントができるまでに、
どんなプロセスがあったか。
それは、簡単に認識されるものではありません。

数え切れない失敗と小さな成功の積み重ね、
その年その年に完全燃焼してきた諸君の情熱。
たった10年と少しですが、
振り返ると気が遠くなるような長さにも感じます。

お客様が1000を超えたのだって、
つい最近のことです。
それまでは苦戦の連続。
生徒諸君や、かかわってくださった皆さんの
無数の完全燃焼なくしては、
現在のフレンドシップはありえないのです。

今日お会いした先輩が悪いわけではありません。
皆さん同じです。
わかってもらえていません。
大人の世界でもわかってくださる方は
圧倒的少数。
まして、役所は、、、、

ちょっとしたこと、
それでいて、ものすごく重大なことです。

壊すのは簡単でも作のは時間がかかる。

2008年05月12日
 ■  閉店記念祭

昨日、盛大かつ心のこもったすばらしい会を
開催していただきました。
企画、準備、ここまでやっていただけるとは
想像もしなかったことで、本当に身にあまることと
感激いたしました。

上はT副隊長が正装で参加してくださり
下は今年の卒業生が会費を払って駆けつけてくれました
皆さんが善意の協力体制でてきぱきと動いて下さっている様子は
本当に感動ものでした。
そして、
懐かしい教え子たちの笑顔に囲まれて
これ以上の幸せはないことと感じました。
怖いような気持ちです。

楽しく過ごそうと思っていたのですが、
やはり、音楽は恐ろしい力を持っています。
ONE SMALL VOICEを聞くに及んで、
涙をこらえることができませんでした
この選曲は相当に意地悪です。
感動的な曲です。
こんな歌を何世代もの部員が一緒に歌えるなんて
なんてすばらしいことでしょう。
Winkyさんとの出会いのなんという幸福。

そして、自分でお話しているうちに
東郷先生の「川の流れのように」を思い出してしまったのです。
昨年1月の定期での東郷先生の歌を
CDにコピーしようとして、久々に聞きました。
何度聞いても胸が熱くなります。
ipodでも聴いているうちに
思い出しただけで涙がでるようになってしまいました。
CD差し上げた皆さん、聴いていただけましたか?

知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
  振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
   
退職を前にされた東郷先生の歌は本当に感動ものです。

青春を過ごした部活動、
その時を共有した人たち、
人生のおりおりに振り返ると、
それはまさに心の故郷なのではないでしょうか。


そして、心の中でもう一曲。
WHEN YOU BELIEVE
(奇跡は起こる!信じれば)

逗子高校で出会ったすばらしい皆さんに感謝したいと思います
ありがとうございました。

2008年05月10日
 ■  近況ですが、

今日は逗子高吹奏楽部の新旧保護者やOBのみなさんが
送別会を開いてくださるそうです。
部員諸君の場合もそうですが、
ご挨拶をするたびに「希望ヶ丘はどうですか?」と
質問をされることが多いので、
今日も警戒して、先を越して、書いておきます!

希望ヶ丘高校は何しろ創立110周年といいますから、
伝統でいえば、逗子高校以上のものがあります。
逗子と同じで、昔は町中(現在の藤棚あたり)にあったそうですが、
相鉄沿線の広大な土地に移転して、現在にいたります。
何しろグランドなども広く、サッカーと野球と陸上、ハンドなどが
同時に練習したりしています。

全体に部活や行事をやらなければ意味がない!
という雰囲気のある学校なので、
現代にあっては貴重な環境だと思います。
これからの時代はもちろん学力が必要ですが、
部活や行事に関心のない人の学力なんて
全く使えないことは、誰しも理解できるでしょう。

吹奏楽部は1・2年生で60名ほど。
頑張って年中無休で練習しています。
定時制があるので、平日は5時ちょうどで
教室から追い出されます。
校舎外に恐ろしい、本当に恐ろしい部室兼楽器庫があり、
そこで、6時頃まで楽器をいじっている子もいるようです。

部の運営は徹底的に生徒の手で行われています。
本当に、徹底的です。
びっくりしています。
私の高校時代もほとんど部員でやっていましたが、
卒業生(OB)が結構積極的に関わってくれていましたので、
それに比べても、希望ヶ丘は本当に生徒だけで、
かなりすごいことだと感心しています。

まだ、ほとんど、部活には顔を出していいませんが、
せめて、ということで、
時折、楽器(BN)をもって30分ほど
教室に出かけ、1年生の初心者と遊んだりしています。

コンクールも伝統的に学生指揮者で臨む事になっています。
これも、すごいことなので、
生徒諸君からの希望があれば、
できるだけ応援したいと思っています。

それにしても、部活に関わる時間が減ると、
かなり、生活が変わると実感します。
通勤はかなり比較としてはきつくなりましたが、
なんとか持っています。
授業が45分の7時間ですが、
これがなかなかやりやすいです。
特に3単位ものは2時間連続があり、
この時に結構進める感じです。
その割に、疲労感が少ないのです。
生徒諸君は休み時間に早弁しようとすると、
5分しかなく、かなり苦しいようですが。。。。

とりあえず、こんなことろでございます。