2008年05月01日
 ■  定期演奏会#35御礼

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29日、本当に大勢のお客様にお出で頂き、
盛況のうちに開催させて頂きました。
お陰様で、部員も私も完全燃焼させて頂きました。
ゲスト出演の地域の皆様、そしてtrb倉田先生
スタッフとして支えて下さったOB諸君、
そして、何かとご支援ご協力頂いた保護者の皆様に
改めて御礼申し上げます。

とりあえず、今回、私(岩田)が異動ということもあり、
本当に沢山のお花やメッセージを頂きました。
どれも身に余るものばかりでした。
ひとつだけ、
ご紹介させて頂きます。

「岩田先生 永い間逗子高校のためにおはげみくださり
ありがとうございました。
小生 同校を辞しまして、
平成18年4月22日永眠いたしました。
間質性肺炎ということでした。
先日4月22日に三回忌をすませたところです。
新任校でもご活躍くださることでしょう。
ではお元気で じっくり拝聴させて頂きます。
孫も大矢部中吹奏楽をやっているので
一緒に連れてきました。パートはアルトサックスです。

故○○○○○  代筆○○」
(代筆は奥様、位牌と遺影の写真を添えてくださいました。)

学校警備員さんというのは
平日の朝晩と休日一日中、勤務されます。
だいたいは学校の事務室にいらして、
校舎内の部活といえばウチ位ですから、
ブラバンが終わると方々を点検して、、、、
ということになります。
どの警備員さんにもお世話になりっぱなしです。

13年間のうちに、何人か、お辞めになって、
交代されています。
あんなにお世話になったのに、
お亡くなりになったことも知らずにいたのかと思うと、
痛恨の思いです。
というか、
共有した、かけがえのない日常が蘇ってきて、
涙を抑えることが出来ません。

公立学校というところはお役所でもあるので、
仕方ないのかも知れませんが、
紙の上の関わりがないと、優しくないな、
と思うことがあります。
数年前、すぐお隣の自動車工場の社長が亡くなられた時も
だれも弔問に行かなかったのでは、と思いました。
工場の前を、朝夕、何十年間も、生徒が往き来して、
それを見ていてくださって、
娘も逗子高に通わせて、
という方だったはずです。

亡くなられた警備員さんは
普段はとても寡黙な方でしたが、
お話しするとニッコリ笑われて、
優しげな表情をされるのが印象的でした。
だまっていても、
いつも生徒達にはとてもよくして頂いた記憶があります。

他の辞められた警備員さん達、
シベリア抑留経験のあったSさん。
関東軍でラッパ手も努められたというIさん。
みなさんお元気でいらっしゃるでしょうか。
休日の事務室で、聴かせて頂いた昔話は
とても懐かしいです。

逗子の街のどこかでお会いできたらいいのですが。

投稿者 iwata : 2008年05月01日 23:40

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