2008年05月20日
 ■  理解が不足しています。

こちら早くも中間テストが迫り、作問に苦戦中。

逗子では、生徒とやりとりする時間ばかりが多く、
デスクワークがなかなか進まなかった苛立が
記憶にのこっています。
今は逆。

やはり、生徒との時間が少ないのは
何か物足りない。
因果な性分というものに、
いつの間にか、なってしまったのでしょう。

ようやく帰ろうとしたところで、
旧知のご同業と校門前で邂逅。
高校の部活の1年先輩。大学もご一緒だった方です。
横浜に戻った実感がまたわきました。
でも、お互いトシをとりましたね。
まあ、高校時代、大学時代のつきあいですから。

さて、この先輩、
先日のフレンドシップに来てくださったとか、
「すごかったね!」とお褒めの言葉を頂きました。
正直とてもうれしかった。ところが、
返す刀で、「こっちではやらないの?」ときます。
多くの方がこのパターンです。

私は、
「もちろん、やってますけど、、、、」
その後が続けられません。
その時、気がついたのです。

あの、芸術劇場満員のフレンドシップフェスティバル、
それをやった私が、次に何をやろうとしているかと、
期待してくださっている、のでしょう。
でも、それは、なにか、とらえ方が違うのです。

「あれができたのだから、今度は、、、」
と考えてしまうのは、間違っていると思います。
教育や文化に対する認識として。
でも、ほとんどの方が、そう考えているようです。

もし、私に現在の様子を訊きたいのでしたら、
比較の対象は、
逗子高に着任したころの私、
であるはずです。

最初の2年間は全然うまくいきませんでした。
当時の生徒諸君には本当に失礼してしまったと
思うことばかりです。

軌道にのるまで5年。
コンクールA組東関東大会まで8年。
緑のブレザーできたのは10年目。
芸術劇場進出は12年目からです。

2000人超の人々が、一堂に会して音楽でつながる
そのイベントができるまでに、
どんなプロセスがあったか。
それは、簡単に認識されるものではありません。

数え切れない失敗と小さな成功の積み重ね、
その年その年に完全燃焼してきた諸君の情熱。
たった10年と少しですが、
振り返ると気が遠くなるような長さにも感じます。

お客様が1000を超えたのだって、
つい最近のことです。
それまでは苦戦の連続。
生徒諸君や、かかわってくださった皆さんの
無数の完全燃焼なくしては、
現在のフレンドシップはありえないのです。

今日お会いした先輩が悪いわけではありません。
皆さん同じです。
わかってもらえていません。
大人の世界でもわかってくださる方は
圧倒的少数。
まして、役所は、、、、

ちょっとしたこと、
それでいて、ものすごく重大なことです。

壊すのは簡単でも作のは時間がかかる。

2008年05月12日
 ■  閉店記念祭

昨日、盛大かつ心のこもったすばらしい会を
開催していただきました。
企画、準備、ここまでやっていただけるとは
想像もしなかったことで、本当に身にあまることと
感激いたしました。

上はT副隊長が正装で参加してくださり
下は今年の卒業生が会費を払って駆けつけてくれました
皆さんが善意の協力体制でてきぱきと動いて下さっている様子は
本当に感動ものでした。
そして、
懐かしい教え子たちの笑顔に囲まれて
これ以上の幸せはないことと感じました。
怖いような気持ちです。

楽しく過ごそうと思っていたのですが、
やはり、音楽は恐ろしい力を持っています。
ONE SMALL VOICEを聞くに及んで、
涙をこらえることができませんでした
この選曲は相当に意地悪です。
感動的な曲です。
こんな歌を何世代もの部員が一緒に歌えるなんて
なんてすばらしいことでしょう。
Winkyさんとの出会いのなんという幸福。

そして、自分でお話しているうちに
東郷先生の「川の流れのように」を思い出してしまったのです。
昨年1月の定期での東郷先生の歌を
CDにコピーしようとして、久々に聞きました。
何度聞いても胸が熱くなります。
ipodでも聴いているうちに
思い出しただけで涙がでるようになってしまいました。
CD差し上げた皆さん、聴いていただけましたか?

知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
  振り返れば 遥か遠く 故郷(ふるさと)が見える
   
退職を前にされた東郷先生の歌は本当に感動ものです。

青春を過ごした部活動、
その時を共有した人たち、
人生のおりおりに振り返ると、
それはまさに心の故郷なのではないでしょうか。


そして、心の中でもう一曲。
WHEN YOU BELIEVE
(奇跡は起こる!信じれば)

逗子高校で出会ったすばらしい皆さんに感謝したいと思います
ありがとうございました。

2008年05月10日
 ■  近況ですが、

今日は逗子高吹奏楽部の新旧保護者やOBのみなさんが
送別会を開いてくださるそうです。
部員諸君の場合もそうですが、
ご挨拶をするたびに「希望ヶ丘はどうですか?」と
質問をされることが多いので、
今日も警戒して、先を越して、書いておきます!

希望ヶ丘高校は何しろ創立110周年といいますから、
伝統でいえば、逗子高校以上のものがあります。
逗子と同じで、昔は町中(現在の藤棚あたり)にあったそうですが、
相鉄沿線の広大な土地に移転して、現在にいたります。
何しろグランドなども広く、サッカーと野球と陸上、ハンドなどが
同時に練習したりしています。

全体に部活や行事をやらなければ意味がない!
という雰囲気のある学校なので、
現代にあっては貴重な環境だと思います。
これからの時代はもちろん学力が必要ですが、
部活や行事に関心のない人の学力なんて
全く使えないことは、誰しも理解できるでしょう。

吹奏楽部は1・2年生で60名ほど。
頑張って年中無休で練習しています。
定時制があるので、平日は5時ちょうどで
教室から追い出されます。
校舎外に恐ろしい、本当に恐ろしい部室兼楽器庫があり、
そこで、6時頃まで楽器をいじっている子もいるようです。

部の運営は徹底的に生徒の手で行われています。
本当に、徹底的です。
びっくりしています。
私の高校時代もほとんど部員でやっていましたが、
卒業生(OB)が結構積極的に関わってくれていましたので、
それに比べても、希望ヶ丘は本当に生徒だけで、
かなりすごいことだと感心しています。

まだ、ほとんど、部活には顔を出していいませんが、
せめて、ということで、
時折、楽器(BN)をもって30分ほど
教室に出かけ、1年生の初心者と遊んだりしています。

コンクールも伝統的に学生指揮者で臨む事になっています。
これも、すごいことなので、
生徒諸君からの希望があれば、
できるだけ応援したいと思っています。

それにしても、部活に関わる時間が減ると、
かなり、生活が変わると実感します。
通勤はかなり比較としてはきつくなりましたが、
なんとか持っています。
授業が45分の7時間ですが、
これがなかなかやりやすいです。
特に3単位ものは2時間連続があり、
この時に結構進める感じです。
その割に、疲労感が少ないのです。
生徒諸君は休み時間に早弁しようとすると、
5分しかなく、かなり苦しいようですが。。。。

とりあえず、こんなことろでございます。

2008年05月03日
 ■  ここちよいサロン

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久々の休日。
神奈川近代文学館の「澁澤龍彦回顧展」をみました。
少し前に、この企画の監修者・高橋睦郎先生から
お電話で紹介頂いていましたので、勇んで伺いました。
今日は高橋先生の講演と澁澤夫人との対談がありました。

期待通りの興味深いお話でした。
要するに、澁澤邸には三島由紀夫のような文学者から、
土方巽、四谷シモンのような別ジャンルの芸術家まで、
あらゆる種類の魅力的な人々が集まっていたようです。
ものを喰い、酒を飲み、歌い、語り、、、、

高橋先生に言わせると、人が集まってくるところに
テーマも集まってくる、のだそうです。
なるほど。

そして、日本では
平安時代、一条天皇のサロン(紫式部や清少納言!)に始まり、
江戸時代では遊里が疑似宮廷となってその役割を負い、
近代は与謝野晶子、森鴎外、夏目漱石、正岡子規、
などがそうしたサロンを持っていた。

サロンが文化を生んでいるのです。

レベルは違うけれど、
コッケンも結構サロンでしたね。
講師も、OBも、保護者も、時には生徒も。
お酒は出せませんでしたが、結構いろんなものが出ました。
バカな話で結構盛り上がります。
それが、部活のの原動力でもありました。
そうして出来たチームが、
今回の演奏会も作っているのです。

そんな事を思わずにはいられませんでした。
サロンのある学校っていうのは悪くないですよね。
というか、会社だろうとなんだろうと、
自由に語り合える場面がないと、
人間同士の友情は作りにくいですね。

こっちにそうした感情があるのとないのでは、
生徒諸君もやる気に違いが出てくるんじゃないでしょうか?

なかなかいい展覧会です。(6/8まで)
写真は文学館前からベイブリッジを望む。

2008年05月01日
 ■  定期演奏会#35御礼

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29日、本当に大勢のお客様にお出で頂き、
盛況のうちに開催させて頂きました。
お陰様で、部員も私も完全燃焼させて頂きました。
ゲスト出演の地域の皆様、そしてtrb倉田先生
スタッフとして支えて下さったOB諸君、
そして、何かとご支援ご協力頂いた保護者の皆様に
改めて御礼申し上げます。

とりあえず、今回、私(岩田)が異動ということもあり、
本当に沢山のお花やメッセージを頂きました。
どれも身に余るものばかりでした。
ひとつだけ、
ご紹介させて頂きます。

「岩田先生 永い間逗子高校のためにおはげみくださり
ありがとうございました。
小生 同校を辞しまして、
平成18年4月22日永眠いたしました。
間質性肺炎ということでした。
先日4月22日に三回忌をすませたところです。
新任校でもご活躍くださることでしょう。
ではお元気で じっくり拝聴させて頂きます。
孫も大矢部中吹奏楽をやっているので
一緒に連れてきました。パートはアルトサックスです。

故○○○○○  代筆○○」
(代筆は奥様、位牌と遺影の写真を添えてくださいました。)

学校警備員さんというのは
平日の朝晩と休日一日中、勤務されます。
だいたいは学校の事務室にいらして、
校舎内の部活といえばウチ位ですから、
ブラバンが終わると方々を点検して、、、、
ということになります。
どの警備員さんにもお世話になりっぱなしです。

13年間のうちに、何人か、お辞めになって、
交代されています。
あんなにお世話になったのに、
お亡くなりになったことも知らずにいたのかと思うと、
痛恨の思いです。
というか、
共有した、かけがえのない日常が蘇ってきて、
涙を抑えることが出来ません。

公立学校というところはお役所でもあるので、
仕方ないのかも知れませんが、
紙の上の関わりがないと、優しくないな、
と思うことがあります。
数年前、すぐお隣の自動車工場の社長が亡くなられた時も
だれも弔問に行かなかったのでは、と思いました。
工場の前を、朝夕、何十年間も、生徒が往き来して、
それを見ていてくださって、
娘も逗子高に通わせて、
という方だったはずです。

亡くなられた警備員さんは
普段はとても寡黙な方でしたが、
お話しするとニッコリ笑われて、
優しげな表情をされるのが印象的でした。
だまっていても、
いつも生徒達にはとてもよくして頂いた記憶があります。

他の辞められた警備員さん達、
シベリア抑留経験のあったSさん。
関東軍でラッパ手も努められたというIさん。
みなさんお元気でいらっしゃるでしょうか。
休日の事務室で、聴かせて頂いた昔話は
とても懐かしいです。

逗子の街のどこかでお会いできたらいいのですが。